ジャック・カロ《処刑》
戦争や処刑による死の諸相を客観的に、ときには酷薄と思えるほどの冷めた筆致で描きだした画家といえば、17世紀フランスの版画家ジャック・カロの右に出る者はいまい。
カロは連作「戦争の惨禍」刊行の翌年、ということは死の前年、《処刑》という銅版画を制作した。これは、「戦争の惨禍」で取り上げた暴力死の諸相を一枚の画に集約したかのような作品である。そこでは、一見フィレンツェ風の町並みに囲まれた大広場で、車輪刑、斬首刑、絞首刑、吊り落とし刑、火あぶり、馬による四つ裂き、鳥籠の刑などなどが、祝祭の市の賑わいさながらに展開されている。
この版画には、「処刑は犯罪の歯止め」というラテン語の銘文が添えられている。画面の下には、次のような八行詩も記されている。
読者よ、法の裁きがこの世の安寧を守るために、
多くの処刑によって邪なる者の悪をいかにして罰するかを見よ。
こうした場面を目にすることにより、
人々は悪しき行いの報いをつつがなく回避するために、
あらゆる犯罪を避けるであろう。
したがって、この版画は処刑による犯罪抑止効果、つまりは法の裁きの正当性を謳っているようだ。しかし、「戦争の惨禍」で軍隊の不正な所業を暴いたかにみえるカロが、この画で権力者の法の裁きの正当性をストレートに表現しようとしたとはとても思えない。
カロは権力者の腐敗を知りすぎていた。お上の裁きは、しょせんサイコロ賭博と五十歩百歩なのだ。カロの真意は、むしろ残酷極まりない場面をひたすら克明に描くことにあったのではないだろうか。
《処刑》を制作しているとき、カロはすでに末期の胃ガンに冒されていた。襲ってくる激痛にさいなまれ、迫り来る死をすでに意識していたと思われる。そんななか、はたして彼はどのような心境で、銅版を刻んでいたであろうか。
《処刑》には、そして「戦争の惨禍」にも、描くことにたいするカロの鬼気迫るような執着が見え隠れする。死の苦悩に苛まれた画家を突き動かしていたのは、描くこと、記録することの「快楽」以外のなにものでもなかったにちがいない。
[出典:吉田八岑/田中雅志『宗教地獄絵残虐地獄絵』大和書房 2006/07]