カルロ・コッポラ《1656年ナポリのペスト流行図》
十四世紀なかば、東方から地中海交易路をたどってヨーロッパに侵入した黒死病(ペスト)は、そののち何世紀にもわたって間歇的にヨーロッパ各地を席巻する。南イタリアの風光明媚な都市ナポリも、むろんその病毒を免れることができなかった。
十七世紀ナポリ派の画家コッポラによるこの絵は、一見するとごくありふれた都市の景観図のようだ。画面ではナポリのメルカート広場が一望され、その背後にはヴェスヴィオ火山がそびえている。右手には、サンタ・ルチア湾も望まれる。しかし、広場の様子に目を凝らすと、景観図はたちまち地獄絵へと一変する。荷車によって広場へ続々と運ばれるおびただしい数の屍体。ある者は死者との永遠の別れに悲嘆し、またある者は猛烈な死臭に鼻を押さえている。
とりわけ不気味なのが、噴水の左手に設えられた絞首台と車刑台の存在である。処刑される者のなかには、疫病を広めたという無実の罪で引き立てられた人々もいるであろう。悪疫が地獄なのではない。悪疫が引き金になって惹起される人間の常軌を逸した行為こそが、真の地獄なのだ。
[出典:吉田八岑/田中雅志『宗教地獄絵残虐地獄絵』大和書房 2006/07]