ヨーハン・テオドール・デ・ブレイ

ヨーハン・イスラエル・デ・ブレイ

『インディアスの破壊につての簡潔な報告』挿絵

 

 ここに紹介する大虐殺の図は、バルトロメー・デ・ラス・カサス著『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(一五九八年版、以下『インディアスの破壊』)に添えられた挿絵の数々である(図版キャプションは同書のラス・カサスの記述から抜粋)。人類の歴史は虐殺の歴史にほかならないことをまざまざと実感させる、じつに凄惨な地獄絵巻だ。

 本書の著者のラス・カサス(一四七四?~一五六六)は、スペイン人の聖職者、歴史家であり、生涯七度にわたり大西洋を横断し、インディオへの布教とその擁護に専心した人物である。

 一五四一年、ラス・カサスは国王カルロス五世に謁見し、スペイン人の非道な征服をただちに中止するよう訴え、それとともに一冊の報告書を提出した。のちにこの報告書をもとに執筆されたのが、『インディアスの破壊』(一五五二年刊)である。

 同書は刊行されるや、著者の思惑をはるかに越え、政治的宗教的な利害対立のあおりを蒙り続けた。つまり、いち早く植民地支配体制を築き上げたスペインにたいして、後発のイギリス、フランス、オランダなどが繰り広げたスペイン批判、スペイン攻撃の格好の道具として利用されたのである。

 こうして一五七八年にネーデルランドで最初の外国語訳であるオランダ語版が出版されたのを皮切りに、ヨーロッパ諸国で次々と各国語訳が出版された。当時スペインからの政治的独立と宗教的自由を求めて血みどろの戦いを繰り広げていたネーデルランドでは、とりわけ多くの版を重ねた。

 あまたの政治的、宗教的対立を経過した今日において、『インディアスの破壊』はヨーロッパ史の負の記憶を伝える貴重な文章記録として、私たちの前に存在している。この書は「西欧の歴史と思想にとって、暗礁のごときものとして存在する古典」(堀田善衛)にほかならない。

 以下の挿絵は『インディアスの破壊』の一五九八年刊のラテン語版に添えられたものである。挿絵の作者は、ヨーハン・テオドール・デ・ブレイ(一五六一~一六二三)とヨーハン・イスラエル・デ・ブレイ(一五七〇~一六一一)である。彼らデ・ブレイ兄弟は、全十八点の挿絵を描くとともに、同書の編纂にも携わっている。

 デ・ブレイ兄弟は、おもにドイツのフランクフルトで活動した銅版画家である。二人の父テオドール(一五二八~九八)もまた銅版画家であり、おもにドイツで活動した。デ・ブレイ親子といえば、大著『東インド諸島と西インド諸島の遍歴大成』(一五九〇~一六三四)の挿絵をはじめ、数多くの地誌画を制作したことでもっとも知られる。

 父テオドールはリエージュの裕福な家庭に生まれたが、ルター派の新教を信仰したために財産を没収され、やむなく故郷を去らざるをえなかった。このように、『インディアスの破壊』の挿絵には、プロテスタントを信奉したド・ブレイ一族の激しい反スペイン、反カトリックの想いが込められている。それにくわえて、これら地獄絵には、カトリックのスペイン軍がネーデルランドで繰り広げた新教徒虐殺の凄惨な記憶も陰に陽に織り込まれているにちがいない。

 

 

 

 

「スペイン人たちはインディオの母親たちの胸元から赤ん坊を引き離し、その足をつかんでは、頭を岩に叩きつけた。(中略)彼らは踵がようやく地面に着くくらいの大きな絞首台をつくり、われらが救い主キリストと十二使徒とを祝して一度に十三人のインディオを吊した。(中略)それから、傷ついたインディオたちのからだのまわりに藁を積み、生きながらにして焼いた」。

 

 

「捕らえられたあらゆる年齢、状態のインディオたちはみな、スペイン人によってこうした穴に投げ入れられた。(中略)妊婦、子供、老人たちは串刺しにされ、やがて穴は彼らでいっぱいになった。(中略)穴に入りきらなかった者たちは、スペイン人によって槍や短刀で突き殺され、スペイン人がけしかけたどう猛な犬によって引きちぎられ、むさぼり食われた」。

 

 

「そのインディオは要求されただけの大量の金を与えなかった。そのためスペイン人はこの国から一人残らず王族を抹殺しようとして、彼をその他大勢の貴族や王とともに焼いた」。

 

 

[出典:吉田八岑/田中雅志『宗教地獄絵残虐地獄絵』大和書房 2006/07]

 


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