エドゥアール・マネ《皇帝マクシミリアンの処刑》

 
 一八六三年、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの弟マクシミリアンは、フランス国王ナポレオン三世の後押しを受けてメキシコ皇帝となった。しかし、政情が変わるとナポレオン三世に見捨てられ、即位から四年後に、メキシコの民主派勢力によって、側近の部下とともに銃殺刑に処された。

 近代フランス絵画の巨匠マネはこの処刑に強い衝撃を受け、事件がフランスで報道されるや、ただちに制作に取りかかった。完成作を仕上げるまでにマネは三種類の下絵(エスキス)を描いているが、ここに紹介するのは最初に手がけた下絵である。

 この処刑図でまっ先に見て取れるのは、ゴヤの《一八〇八年五月三日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺》(一八一四)の影響である。しかし、ここにはゴヤの絵に見られるようなドラマティックな要素はもはや見受けられない。画面はどんよりと暗く沈んでおり、受刑者も処刑者たちも表情が欠落しており、冷ややかさ、よそよそしさ、無機質な空気が支配している。

 かつて処刑は損なわれた秩序を回復するための「儀礼」であり、公開で華々しく行われる見せ物、または刺激に飢えた民衆の娯楽でさえあった。しかし近代以降、処刑はしだいに儀礼やスペクタクルのオーラを失い、画一化され、閉所へと隠蔽されていく。マネの処刑図は、かつての華々しい公開処刑の時代が終焉したことを告げているのだ。

 

エドゥアール・マネ《皇帝マクシミリアンの処刑》 1867年 ボストン美術館蔵
エドゥアール・マネ《皇帝マクシミリアンの処刑》 1867年 ボストン美術館蔵

 

[出典:吉田八岑/田中雅志『宗教地獄絵残虐地獄絵』大和書房 2006/07]

 

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