*アンリ・ボゲ『魔女論』(一六〇二年) Henri Boguet, Discours des sorciers (1602)

【解説】

 アンリ・ボゲ(一五五〇頃~一六一九)は、フランス東部ブルゴーニュ伯領(フランシュ・コンテ地方にあたり、当時は神聖ローマ帝国領)のサン=クロードの裁判官、法学者である。世俗の裁判官として多くの魔女を裁くとともに、悪魔学論書の『魔女論』を執筆し、当時この地方で起こった大規模な魔女迫害に影響を与えたとされる。同書のほかに、ブルゴーニュ地方の慣習法の解説書(一六〇三)や、同地ゆかりの聖人クロードの伝記(一六〇九)なども著している。

 一五九〇年、ボゲはみずから裁いた魔女裁判での経験に基づいて『魔女論』を出版した。同書はキリスト教社会への脅威と見なされていた魔女という危険なセクトについて網羅的に論じる内容となっている。そののち一六〇二年に新版が刊行され、一六一一年までのあいだに繰り返し再版されている。

 『魔女論』は当時の悪魔学の著作でしばしば取りあげられた数多くの題材を扱っているが、そのなかでもとくに注目に値するのは、第十一章と第十二章の魔女と悪魔との性交論である。ボゲは、自分が手がけた実際の魔女裁判での証言に基づき、男女の魔女と悪魔との性交は空想などではなく、実際に存在すると断じている。

 同書でもう一つのとりわけ注目すべき箇所は、最終章にあたる第六十二章の「魔女術裁判における裁判官の訴訟手続き方法」である。この章では全七〇項の条項が挙げられている。ボゲは魔女術をボダンと同様に特別な犯罪と見なし、たとえ一人の魔女からでも共犯者の名を引きだすことができれば、その共犯者を逮捕することができるとしている。ただしそのいっぽうで、拷問の使用については制限を課するよう勧め、またジェームズ六世らが認めていた水審を退け、魔女にたいする無罪放免の偽りの約束を非難している。

 この「訴訟手続き方法」は、魔女を裁く裁判官たちにたいする実務的な指針としてボゲが意図したものである。そして、この詳細で具体的な訴訟手続きの手引きこそ、本書が成功を収めた大きな理由であった。ただし近年の研究では、ボゲとその魔女論が同地の魔女迫害におよぼした影響の程度については、慎重な見解が示されている。

 

【出典】

*Henri Boguet, An Examen of Witches, translated by E. Allen Ashwin, edited by Montague Summers, London, John Rodker, 1929, pp.29-.

 

【翻訳】


第十一章 男女の魔女と悪魔との性交について。
 フランソワーズ・セクレタンの自白における第三の要点は、彼女がサタンと性的な関係を持ったということである。クローダ・ジャンプロ、ジャクマ・パジェ、アントワーヌ・トルニエ、アントワーヌ・ガンディヨン、クローダ・ジャンギョーム、ティヴェンヌ・パジェ、ロランド・デュ・ヴェルノワ、ジャンヌ・プラテ、そしてクローダ・パジェも、同じ内容を自白した。魔女の取り調べで、以上の全員がサタンと関係を持ったことが明らかになったのである。悪魔は女たちを利用するが、それというのも女は性の快楽が好きだと悪魔は知っているからである。そして、快い刺激によって女たちを自分に忠実に従うようにする。女の肉体を弄ぶ以上に、女を男に忠実に従わせるものはないのだ。

 男の魔女もまた性の快楽に溺れているので、悪魔は女の姿でも現われて、彼らを満足させる。ジョルジュとピエールのガンディヨン親子の証言、それにこれまで何度か言及した女たちの証言によれば、悪魔はサバトでとりわけこの種の行為におよぶという。そして、全員がそろって言うには、集会にはたくさんの悪霊たちがいて、男たちのために女の姿をした悪霊もいれば、女たちのために男の姿をした悪霊もいるという。これら悪霊たちは、インクブスおよびスクブスと呼ばれる。サタンがこのような方法で私たち人間を引き込むのは、何も目新しいことではない。というのも、書物で伝えられているように、砂漠で孤独のうちに暮らした聖アントニウスや聖ヒエロニムスやその他の敬虔な人々を誘惑するために、サタンは娼婦の姿をして彼らの前に繰り返し現われているからである。

 悪魔が魔女と交わるのには、別の理由もある。それは、この交わりによってますます忌まわしい子供が誕生するからである。神はキリスト教徒が異教徒と交わるのを忌み嫌われるとすれば、人間が悪魔と交わるのをいかに嫌悪なさることであろうか。そのうえ、悪魔との交わりのせいで男の自然な精液が浪費され、その結果として夫婦の愛はしばしば憎しみに変わり、夫婦関係がこのうえなく不幸な状態に陥る恐れがあるのだ。

 


[出典:田中雅志 編著・訳『魔女の誕生と衰退 ― 原典資料で読む西洋悪魔学の歴史』 三交社 2008年] 

 

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