オランダのバロック絵画の巨匠レンブラントは、崇高で精神的なものを追求するのと同じ熱心さでもって、羞恥なもの、醜いもの、ぶざまなものにも等しくまなざしを向けた。しかも、そのまなざしはじつに容赦なかった。
若きレンブラントは、世に流布する理想的な女性ヌードにたいして強く反発し、生身のはだかというのが本来いかに不格好であるかを突きつけた。スリム体型信仰に悩まされる昨今の女性にはじつに心強いことに、そんなきれいなヌードは文字どおり絵空事で嘘っぱちというわけだ。
レンブラントは女性のはだかだけでなく、セックスの描写にも同じような赤裸々なまなざしを向けた。たとえば、僧侶が麦畑で女と交わる場面を描いた銅版画である。これは、16世紀ドイツの画家ハインリヒ・アルデグレーファ(1502~50頃)による反カトリック的な銅版画を下敷きにしたと考えられる。
《フランス式ベッド》は、レンブラントが愛妻サスキア亡きあとに家政婦として迎え入れたヘンドリッキエ・ストフェルスとの愛の営みをしたためたものと伝えられている。よく見ると下になった女性の腕が三本ある。左腕がふた通りに描かれているためで、それによってこのプライベートな性愛の写し絵は未完であることが分かる。
スカトロジックな銅版画もある。一点は、女性が屋外でスカートをたくし上げ、股を広げて放尿している場面だ。これは一説によれば、画家の妻サスキアがモデルとされる。女の放尿図だけでなく、男が道端で立ち小便している図もある。
レンブラントは豊富な版画コレクションの持ち主だった。そのなかには、ジュリオ・ロマーノ&M・ライモンディの「イ・モーディ」の複製画や、アゴスティーノ・カラッチの「ラシーヴィエ」をはじめ、ラファエロ、ロッソ、アンニバーレ・カラッチらによる16世紀イタリアの好色版画もあったことが知られている。レンブラントは一連のエロティック版画を創作するうえで、こうしたコレクションから大きな影響を受けたにちがいない。