オーストリア皇帝フランツ一世に仕える宮廷画家として、皇室所有の美術コレクションの模写、皇室一族や宮廷貴族の肖像画、それに同時代の人々の日々の情景を捉えた風俗画などで知られる。その作風は生真面目な写実や健全さを特色としており、当時流行のビーダーマイヤーの典型を示している。
死後半世紀以上たった1910年、ウィーンのシュテルン書店から、『ペーター・フェンディ:40葉の好色水彩画』という画集が私家出版され、フェンディのもう一つの顔がついに白日のもとに晒された。それは、あの勤勉実直な宮廷画家のあまりに意外な素顔だった!
それは1835年頃のことである。フェンディは一連のエロティック水彩画を密かに描いたと伝えられる。好き者のパトロンや蒐集家から注文を受けたのか、それとも肖像画家の名手のプライベートな手すさびだったのか、いまとなっては定かでない。おそらく、たいへん実入りのいい注文仕事だったのではなかろうか。むろんそれら好色画はフェンディの生前にけっして公表されることはなかった。
(フェンディ略年譜)
1796年 ウィーンで教師の家庭に生まれる
幼い頃テーブルから転落して脊椎を損傷し、重大な障害を負う
1810年 ウィーンの美術学校に入学
1818年 帝室王室コイン・古美術品コレクション素描家・銅版画家に任命される
1935年頃 一連のエロティック水彩画を密かに制作
1836年 ウィーン美術アカデミーの正会員となる
1842年 ウィーンにて死去
Peter Fendi
Vierzig erotische Aquarelle
Wien, Stern, 1910