古代ギリシア・ローマ神話は、イタリア・ルネサンスの画家たちに数多くの題材を提供した。一部の神話は題材というより、ヌードや性愛を描くための格好の口実として使われたようにも見受けられる。
なかでもとくに人気を集めたのが、愛の女神ヴィーナスをめぐる一連の物語である。ヴィーナスの誕生や、ヴィーナスとマルスの密通といった物語は、女性ヌードを描くためのまたとない口実となった。
ヴィーナスの物語ともう一つの双璧をなすのが、オリュンポスの主神ユピテルのあまたの変身好色譚である。無類のアバンチュール好きのユピテルは、妻ユノの目を盗んでは、白鳥に変身してレダと交わり、またあるときは雄牛に変身してエウロペと交わる。さらにダナエにたいしては黄金の雨となり、アンティオペにはサテュロスに変身し、イオには雲に変身して、それぞれ想いを遂げる。ユピテルはバイセクシュアルであり、美少年ガニュメデスには黒鷲に変身して誘拐するといった具合である。
古代神話の主題は16世紀になって本格的にイタリアの宮廷を中心に流行する。しかし、キリスト教の主題に較べればはるかに数が少なく、ごく限られたエリート層の人々しか理解することも鑑賞することもできなかった。したがって、神々の愛を描いたエロティック・アートは、一握りの権力者のためのすこぶる知的で特権的な作品だったのである。
出典:田中雅志『封印されたエロス:もう一つの美術コレクション』, 三交社, 2002/12, 30頁